自分の日常的な語彙として、どれほどのことばを用いているでしょうか。
百、二百、それとも三百でしょうか。
私たちは感情を言葉で表現します。
悲しみや喜び、どんな心の動きであれ、つまり本質的に表現することができないものを、
言葉で表現しようとします。
ロミオはジュリエットに、非常に明瞭な、そして表現力豊かな、素晴らしい言葉で話しました。しかしそのために心が張り裂け、息がつまるようなものを、
愛以外のすべてをジュリエットに忘れさせてしまうようなものを、半分でさえ、
それらの言葉が表現し得たでしょうか。
別の言葉が、別の交流の形式が存在する。
つまり感覚とイメージによる交流が存在するのです。
このような接触において、分離が克服され、境界が破壊されます。
意志と感情と情緒、これこそが、以前、鏡のこちら側と向こう側に、
扉のこちら側と向こう側に立っていた人々のあいだの障害をぬぐい取るのです…。
スクリーンの枠組みは広げられ、以前私たちから隔てられていた世界が、
私たちのなかに入ってきて、現実となるのです。
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死は存在しません。存在するのは不死です。
ある詩の一節で
『曾祖父も孫も同じテーブルについている…』
と語られているように、時はひとつであり、分かつことが出来ないのです。